鈴木愛は、年上の渡邉彩香をちゃんづけで呼ぶ

スポーツ

先週の女子ゴルフトーナメントで5年ぶりに優勝した渡邊に昨年の賞金女王の鈴木愛が「綾香ちゃん」とちゃんづけで呼んでいた。鈴木のほうが1つ年下なのに、ちゃんづけである。これは男子ではありえない話なのであるが、女子の世界では普通の話なのである。どういうことかというと、日本は縦社会であり、年齢が1年違うと奴隷同然の扱いを受ける社会構造になっているのであるが、これは基本的に男社会だけに通用するルールなのである。日本社会は、基本的に女性のことを差別しているので、女性にはルールが適応されないのだ。あくまでも例外として扱われるわけである。ごく最近に、男女雇用機会均等法なんて法律ができたくらいだから、社会に染み込んだ女性差別的な考えは半端ではないのである。ゆえに女性社会の中で、問題が起きてもそれは構わないのである。最近引退した、宮里藍も多くの若手から「藍ちゃん」と呼ばれているわけである。おそらく特別親しい関係だった後輩は、「宮里さん」とか「藍さん」とか呼ぶかもしれないが、それ外は「藍ちゃん」でいいのである。お笑い界で、ダウンタウンの浜田は「浜ちゃん」と呼ばれているが、後輩芸人で「浜ちゃん」と呼ぶ人は皆無だろう。本当に殺されるかもしれない。(少なくとも芸人界では殺されるだろう)考えてみると、私にも三人の女性姉妹がいるのであるが、三人ともお互いを「ちゃん」づけで呼び合っている。妹は私のことを「お兄ちゃん」と呼んでいるから、これもまた縦社会ゆえの不文律なのである。何も感じないくらい無意識でそうなっているわけで、米国にいったらありえない話なのである。これは日本の伝統というよりも、徳川時代300年の中で染み付いた儒教文化の名残なのである。男社会であり、年功序列社会文化である。考えてみると、浅田真央も後輩たちは「真央ちゃん」と呼んでいる。男社会も、見習うべきだと思う。芸人の草薙が浜田に「浜ちゃん」と呼んでも、何も違和感のない社会が実現できた時、日本はかなりよくなっていると思う。まあ、大きな社会変革がないかぎり、そうはならないだろう。こういうものは、自然に変わることはありえないのだ。

これは日本古来の文化ではなく、中国文化による影響なのである。日本本来の文化は、もっとおおらかで、自由なものである。儒教文化がなし崩し的に失われていくなかで、それに変わる明確な指針を我々はもてないであるのだ。これはけっこう危険な状態である。決まりがないということは、誰か強烈なリーダーが新しいきまりを言い出したら、それに簡単に移行してしまうのである。第一次世界大戦の後のドイツがそれであり、いわずとしれたヒトラーその人である。私は儒教は好きでないが、仏教でもキリスト教でもなんでもいいから、ある程度まともな儒教にかわる新しい考え方を国民に提示する必要が高いと感じている。いいとこどりがいいと思うが、いずれにしても明確な指針が必要なのだ。キリスト教であれば聖書であり、仏教であれば経典である。結果としてそれは宗教になるのだ。世界中を見るとわかるが、宗教以外で国家を支配することはできないのだ。北朝鮮は、キム一族教という宗教であり、旧ソビエトであれば共産主義という宗教である。神道は宗教的な経典がないから難しいのだ。ゆえに、明治時代は国家神道ということにして、仏教と融合させた全体主義をつくったわけである。個人的には仏教をベースにしたほうがいいと思うが、公明党が連立政権を組んでいる現状では、創価学会が国教になってしまう可能性が高いので、それはどうかなと思う。難しい問題であるが、国家としては避けて通れない問題なのである。

タイトルとURLをコピーしました