死ぬときに1億円あったら、1億円余分に働いたと思う人

日常の出来事

ある本を読んでいたら、山奥で暮らす40代の男性の話がのっていた。現在の彼の生活費は、1ヶ月2万円程度であり、現在は貯金を切り崩して生きていて、このペースでいくと、年金がもらえるようになれば、全く労働しないでも寿命をまっとうできる計算なのだという。そういう状況の彼がいっていたのが、「もし死ぬときに1億円貯金があるとすれば、それは1億円分余分に労働していたことになるのではないだろうか」ということなのである。そんな風に、考える人が存在することが意外だった。なるほど、そういう発想もあると思う。生きているということは、それだけで価値があるわけで、寿命をまっとうするという目標をもって、日々生活していくということはいいことだと思う。すべて個人の自由だからである。私はそういう発想にはならないが、そう考える人がいても全然問題ないと思う。人によって役割は違うのだ。何をやってもいいのだ。ただし、他人を傷つけたり、他人をコントロールしようとすることはいけないと思う。それさえしなければ、何をやってもいいと思う。この人のように生きてみたいと思う人も、世の中にはたくさんいるのではないかと思う。親だとか、配偶者だとか、子供だとか、そういう関係から解放されて、ひとりで自由い生きていきたいと思うことは間違っていないと思う。さすがに、乳飲み子がいる場合には、なんとか20歳になるまではがんばって育てるべきだと思うが、それ以上は自由である。その人は、電気代が月間1000円で、携帯代が2000円、上下水道は井戸なのでなし、ガスは使わず、薪で火をおこしているという。食費は月間1万円で、あとは自給自足だそうだ。自宅は古民家を100万円で購入したから家賃は0である。女性とのかかわりは、一切ないようなのであるが、それでいいのであれば問題ないと思う。ようするに彼は、こういう生活ができることをもっと早く知っていれば、もっと早めにこういう生活に入っていたということなのである。

人はなんのために生きるのだろうか?

これに対して、明確な答えなないわけである。私が思うのは、宇宙の真理に沿っているなら、なんでもいいと思う。おだやかに、山奥で、生活をするということになんの問題があるのだろうか。ブラック企業で、地獄のような日々を送るくらいなら、こちらのほうがはるかに人間らしい人生だと思う。

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