成長を感じる時が、幸福を感じる時なのだと思う

1年くらい前にホームページ制作の講習を受けて、このブログを立ち上げたのであるが、サーバーの契約や設定、ドメインの取得、ワードプレスの設定など、ほとんど言われるがママにやっていたので、あんまり理解はしていなかったわけである。先日、新しいサイトをつくることになり、思い切って自分ですべてやってみたら、なんとかできたのである。最初、当時作成したメモがどこかにいってしまって、「これじゃあ無理だなあ」と思ったのであるが、グーグルや、YouTubeで検索しながら、やってみたらなんとかできたわけである。特に手間取ったのは、SSLのセキュリティ設定で、これもなんとかなったわけである。「俺もやればできるじゃん」と感じた時、なんともいえない幸福感を感じたのである。できないと思っていたことができた時に、人間は幸福感を感じるようにできているのだ。子供の時、なんども転びながら、自転車に乗れるようになったのと、同じ感覚である。私の二人の息子たちは、そんなに自転車に興味がないように感じるのは、私が手取り足取り教えてしまったせいかもしれない。少なくとも彼らは一度も転んでいないし、けっこうすぐに乗れてしまったわけである。苦労して乗れるようになった私は、それからの人生、自転車とはとても密接で濃厚な関係を築いているのだ。小学校3年の時には、杉並から東京湾まで自転車で行き、ハゼ釣りをして帰ってきたものである。(友人といっしょに)「そんなのお前には無理だ。ばかげている」といわれるようなことを始めて、それができるようになった時の喜びは半端でないわけである。仮に夢が達成しなくても、その過程で十二分に結果がでることはよくあるわけだ。例えば、100億円稼ごうと思い努力したが、50億円しか稼げなかったような場合である。人間の能力は無限大である。私の知り合いのTさんは、なぜ自分がそれをできないかを説明する時に、最高の能力を発揮する。誰がどう考えても、「たしかにあなたには無理でしょうね」と思わせる説得力があるのだ。そのパワーの1/10でも使えば、簡単にできることなのにやらないのである。それは彼が悪いのではない。現在の社会が人々に成長させないようにプログラムしているからなのである。でも、そういう呪縛を取り払い、自分の成長に喜びを感じるようなインプットした時に、人間は幸福になるように設計されているのだと思う。幸福になるためには、孤独を経験することになる。孤独は悪いことではない。何かをやる時には、自分自身が作業をすることがとても大切なのだ。例えば東大に合格した生徒をみれば、勉強時間のすべてを家庭教師がついていたなんて奴はひとりもいないはずだ。誰かに教えてもらう時間よりも、自分でコツコツやる時間のほうがはるかに長いわけである。当たり前のことである。孤独な時間を過ごしながら努力して、なにかを達成し、それに喜びを感じるというサイクルに入っている人間が幸福なのだと思う。世間でいうところの幸福な状態に入って、例えば金持ちになるとかの状態になり、その状態を維持することが幸福だと考える人がいるが、それは間違いである。最後まで自分を成長させ、自分が成長できないと感じたなら、他人を成長させることに考えをシフトさせ続けることが、幸福になる唯一の方法なのだと思う。ほんの少しでもいいのだと思う。その時の余力の問題で、パワーがあるなら大きな目標をつくり、そうではないならそれなりの目標をつくればいいだけの話である。

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