本能的に感じること、それが絶対的に正しい

眠い時は疲れている時である。飯が食いたい時は腹が減っている時である。

それが正しいことは誰でもわかる。

なんとなく気に入らないことがあったり、なんとなく嬉しかったり、

なんとなく腹が立ったり、なんとなくこれがいいなと思ったり、することは別だと

思っている人がいるが、間違いである。

その時の自分が感じることが、正しいのだ。

10時間眠った後に、さらに眠たければ、それは眠る時なのだ。

仕事も同じである。

自分がどう感じるかがもっとも重要なポイントなのだ。

砂漠の真ん中で、喉が乾いて死にそうな時、1億円と1リットルの水のどちらかを選べといわれて

1億円を選ぶ奴はいない。そうすれば死ぬだけだからだ。

こういうわかりやすい選択肢ではない場合、人間は理屈で考えてしまうのだが、

それはうまくいかない。

本能に従わないと、うまくいかないのだ。

自分は自分、他人は他人なのである。

子供の時にピーマンをたべれなかった人が、大人になったら大好物になったりするのだ。

食べ物以外の好みも同じである。自分がどう感じるかだけが大切なのである。

サッカーの中田は、野菜を一切食わないという。それでも日本最高のサッカー選手になれるのだ。

自分は自分、他人は他人である。

自分が感じていいと思ったことが正しいのだ。

理屈ではない。

この世の中は、がまんしてできてしまうことがたくさんある。

ゆえに多くの人は我慢して生きている。

それが正しいと、信じ込まされているので、疑問に持たないで生きているのだ。

この世の中には、不変の法則が存在している。

地球が誕生して以来、すべてのものごとは、その法則に基づいて動いている。

恐竜が絶滅したのも、人類が栄えたのも、すべてその法則に基づいているのだ。

生命が生まれ、いずれ死に、また生まれ、世の中に必要のないものは、自然に淘汰

されていき、その時代に適合したものだけが生きのこるわけである。

かつては恐竜であり、今は人間なのである。

人間は1人では生きていけない。仲間を守ることは大事だけれど、自分の仲間だけを

守るために他の仲間を排除すると、結果的に自分たちも繁栄できなくなるのだ。

ヒトラーのナチスドイツなどがその好例である。

ナチスドイツの人々は、ユダヤ人を虐殺し続けたが、それは人間の本能ではないのだ。

理屈で考えて、そうすることが得だと思ってしまったので、そうしたのだ。

3歳の幼児を本能で殺せるわけがないのだ。

でも彼らはそれをやり続けたのは、本能に従わなかったからである。

徳川家康は自分の長男を織田信長に命令されて殺してしまった。

それも本能ではない。信長に従ったほうが得だと思ったから、命令を聞いてしまったのだ。

自分の子供を殺していいわけがないだろう。

モハメドアリは、「自分はベトナムの人を殺すことはできない」といって

世界タイトルを剥奪された。政府からも弾圧されたが、今は多くの人が

アリの決断を評価している。

アリも本能に従ったのである。

ある政治家の息子は、親から湯水のように金をもらったが、薬物中毒で45歳で死んでしまった。

もし貧乏でも、愛情だけをたっぷりもらって生きていたら、今でも生きていたはずだと思う。

どんなに偉くなっても、息子が薬物中毒で死んでしまうような人生と、

毎日笑顔で楽しく暮らす人生のどちらのほうがいいと思うか、本能で決めれば

間違いはなくなるのだ。

この世には様々な人がいて、様々な価値観がある。

何が正しいかは、人にとって違うのである。

自分が本能で決めることが、もっとも正解に近いものなのである。

もちろん、気が狂っている人もいるから、そういう人が思い通りにやって、

大惨事がたまに起きるのも事実である。

連続殺人事件や、オウム事件などは、その実例である。

気が狂った人が、思い通りにやることはよくない場合が多いが、普通の人が

感じるままにやることは、すばらしい結果をもたらすものである。

キリストも、ブッダも、マザーテレサもその実例であると思う。

彼らは特別な人間ではないと思う。

普通の人間なのであるが、自分の本能に従い続けた稀有な人々なのだと思う。

なかなかできないのだ。

みんな途中で挫折してしまうのである。

松下幸之助も同じタイプの人だと思う。

人生は長くてもたった100年である。

くだらないことをしている時間は1秒もないのだ。

くだらない時間とは、くだらない人間と過ごす時間である。

くだらない人間とは、自分にとってくだらないと感じる人間のことである。

理屈ではなく、自分で感じることが大事なのだ。

肩書きなんて関係ない。

本能で、どう感じるかだけを、価値基準にするのである。

自分にとって価値のある人が、世間一般の価値基準と同じであるわけがないのだ。

場合によっては、それが犯罪者だったりすることもあるかもしれない。

でも、それでいいのである。

ビートだけしだって、フライデー襲撃事件の直後であれば立派な犯罪者である。

私の父はかつて衆議院議員選挙に立候補し選挙違反で逮捕された前科者である。

立派な元犯罪者である。

父はよく自慢していた。「私は他人の金を奪って捕まったのではない。

金を配って逮捕されたのだ。なんら恥じることはない」と、大笑いしていっていた。

懲役2年、執行猶予4年、公民権剥奪10年である。

「刑務所の取り調べは辛かった」といっていた。

自分にとって、本能的に意味があるかどうかが重要なのである。

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