子供に残すべきは金でも学歴でもなく、生きる力である。

生きる理由

多くの人は、自分の子供に幸福になってもらいたいと考えている。

できるかぎり多くの教育の機会を与えてあげたり、金銭などの財産を残してあげたりと、

様々な努力をしているわけである。

貧しい人に、食料としての米を与えるのと、米の作り方を教えるのと、

どちらが大切なことなのか。

無論、後者である。

子供に対しても同じである。財産を与えることよりも、財産を稼ぐ力を

与えてあげることが親の役目なのである。

財産を稼ぐためには、むしろ財産は邪魔になったりもするのだ。

何もないところから工夫して生きていくと、最初は大変であるが、

生活の中から自然と様々なことを学んでいくわけである。

多くの芸人は最初貧乏生活をしているが、あれがないと、

人を笑わせるための面白いエピソードが生まれないからなのだ。

もちろんそんなことをしなくても天才的に面白いことを考える人は

存在するかもしれないが、それは例外である。

もし多くの不動産を所有して、労働しなくても、賃貸収入だけで十分な

利益があれば、幸福だと多くの人は考えるだろう。

自分の子供がそういう状況になったら、どうなるだろうか?

まず、堕落する。

普通であれば、堕落するのだ。

かなり特殊な人間で、そういうことを気にせずにバリバリ仕事をする人も

いるかもしれないが、それも例外である。

生きる力は、追い込まれた時に発動されるようにプロミングされているのだ。

著名な作家で、締め切り直前まで仕事をしない人は多い。

あれは怠けているわけではなくて、追い込まれると大きな力が生まれることを

本能的に知っているからなのである。

特にストイックな人であればあるほど、締め切りを守らない場合が多いものである。

親が子供にしてあげれることは、かなり限定的である。

幼児期にたっぷりの愛情を注ぐことが最も大切なことである。

金ではなく、時間を費やして、いっしょにいてあげることである。

それさえ十分に出来ていると胸を張れるなら、あとは放っておくのが一番いいのだ。

自分で勝手に動き出し、失敗したり、成功したりしながら、自分の道を

見つけていくものである。

人間にはラクをしたいと思う怠け心がある。

たまに、いい話があると、そっちになびいて、大きな失敗をしでかすことがある。

たいていは、親の愛情からくるものの場合が多いのだ。

ゆえに、親は余計なことをしないほうが、うまくいくものである。

親が気を利かして考えることよりも、

子供自身が自分から言い出したことを尊重するほうがうまくいくものである。

例えば、親が所有している不動産をあげるにしても、

子供の方から「くれ」といった時にあげるのと、こっちから一方的にあげるのでは

意味が全く違うということなのである。

転ばぬ先の杖的な考えは、たいてい、ろくなことにはならない。

人間は失敗して学んで成長していくようにできているのに、せっかくの

成長の機会を奪うことになるからだ。

医者になりたいと思い、勉強をはじめる。

1年間ばんばって、偏差値が45くらいであれば絶望的な気持ちになる。

そこで「自分は必ずできる」と思い、勉強を続けるか、

「もう無理だ、他のことをしよう」と思うかは、その人しだいである。

どっちでもいいのだ。

少なくとも、自分自身でつくった選択肢がそこにできるからだ。

そこで決断し、それを繰り返していくのだ。

そのサイクルに乗ることができた人間が、幸福な人で、それができない人が

そうでない人なのだ。

単純な話である。

なんでもいいのだ。

親の最大の役割は、自分の子供を、成長するための循環に乗せてあげることなのだ。

ぶんなぐろうが、やさしくしようが、関係ないのだ。

結果的にそういう循環に乗った人間だけが

生き残るのである。

千差万別で、いろいろなパターンがあるのだ。

子供のタイプと、親の相性だけでなく、社会環境なども影響するから、

一概にはいえないのだ。

何が幸いするかもわからない。

もしかしたら、現在のコロナ騒動がとてもプラスに影響している子供もいるだろうし

そうでない場合もあるだろう。

正解などないのだ。

1000個の卵を産む鮭がいたとする。

親になって産まれた川に帰ってくる子供が10匹いて、

そのうち5匹は人間に捕獲され、2匹は熊に食べられて、産卵できたのが

5匹だけだったとする。

産卵できた5匹だけが、成功した人生なのだろうか?

私は違うと思う。

1000匹すべてが、成功した人生なのだと思う。

そうやって地球誕生以来、すべての命は続いているのだから。

死産でうまれてくる命もあれば、天寿をまっとうする命もあるのだ。

自分が何ものであるかなんて、自分が死ぬまでわからないのだ。

死んだあとに評価がかわることもあるのだから、

死んだってわからないのだ。

ナチスドイツの英雄が戦時中に戦士した時は、英雄だったのに、

敗戦のあとには、戦争犯罪者となったりもするのだ。

子育ては難しいが、

意外に、シンプルであると感じている。

しっかりと愛情を注いで育てたら、あとは放っておくだけでいいのだ。

中学くらいまでである。

そこからは自分の力で生きていくのだ。

昔の元服は13歳くらいであるが、そんなもので十分なのだ。

自分自身のことでいえば、10歳くらいから、現在までたいして成長していないと思う。

経験値だけは増えたが、人間としては10歳くらいでほぼ完成系なのだ。

13歳と18歳の息子たちを見ていると、私よりも上の部分がたくさんあることに気づく。

勝っているのは、経験値だけかもしれない。

生きる力は、追い込まれないと、出てこないものだ。

成長するための環境を与えてあげることが親の役目である。

その場所は、百人いれば百通りの答えがあるのだ。

決めつけないほうがいい。

しょっちゅう変わってもいいと思う。

本人たちが、何かを探すモードに入ることだけが重要なのだ。

「お笑い芸人になりたい」でも「野球選手になりたい」でも

なんでもいいのだ。そういうモードに自分の意思で入ることができれば、

あとは惰性でなんとかなるのだ。

私の場合には、中学を卒業して、就職も進学もせずに、いた時に、

「早稲田大学に入学してみんなを驚かせてやる」と思ったのが

きっかけだと思う。結局合格したのは、東海大学だったが、

そこからはけっこう順調に楽しい人生を歩んできたような気がする。

結局、米国に留学してMBAも取ることができたし、

なんか試験も含めたペーパーワークはけっこう得意になって、役にたっている。

万が一、当時、本当に早稲田なんかに合格したら、

天狗になって、とんでもない人生を送っていたと思うので、

それでよかったと思う。

今世の中にいる、すべての私より若い人が、幸福になることを心より祈っている。

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