できないものは、できない

日常の出来事

中学生の時、親戚にヘビイメタルのリードギターをやっている従兄弟がいた。

彼にギターを教えてもらったのであるが、どんなに練習しても

指があまり動かなくて、コードがうまく押さえることができなかった。

彼の指は繊細で、細く長く、私の指は太く、短く、明らかに

かたちがちがっていた。

数週間くらい練習したが、全然うまくなる気配はなく、

そのうち私はギターの練習をやめてしまった。

それ以来、ごくたまにギターを弾こうとすることもあるが、

連続して練習したことすらない。

得手不得手というものは間違いなく存在しているわけだ。

ギターは上手く弾けない私であるが、ゴルフはそこそこうまいと思うし、

パソコンだって、それなりに使いこなすし、ちょっとした動画の編集や

ホームページの作成くらいは自分でできるわけである。

自分でiPhoneの液晶を交換することもできるし、

得意なことだって、少なからずあるわけである。

でも、どうやっても好きにもなれないし、やってみたくもないことも

たくさんあるわけである。ある意味、好きなこと以上に、嫌いなことはたくさんあると

思う。

医者の息子ででも、絶対に医者になりたくないやつだっているし、

どうしても医者になりたいやつもいるわけである。

理由は様々であるが、できないものはできないのだ。

人間が手をバタバタしてしても、鳥のように空を飛べることはないという。

もし、人間が鳥のように飛ぶならば、筋肉は現在の20倍の強さにならないと

無理だそうだ。

100キロ持ち上げる人がいるとすれば、単純に考えれば、2000キロのものを

持ち上げる腕力がないと無理なのだとすれば、これは絶対に無理である。

鳥は、空を飛ぶために、足は極端に細く軽くて、排泄器も尿と糞を同時に出せるように

なっているなど、飛ぶために軽くする工夫が満載なのである。

つまり、人間が空を鳥のように飛ぶことは無理なのである。

でも、それが仕事だったり、人間関係だったりすると、

「ひょっとしたらできるのではないか?」と錯覚を起こしてしまうのである。

できないものは、できないのだ。

無論、できることだってたくさんある。

でも、できないものはできないのである。

これを理解しないと、不幸な人生になる。

がっちりした体格の男が、「私、性転換手術をして女になりたい」といえば、

昔の日本であれば、多くの親は発狂したわけである。

そういう理由で、不幸にも自殺をしてしまった人もたくさんいるわけである。

できないものはできないのだ。

少しづつ社会の認識は変化しているが、すべての人には、何かできないことがあるのだ。

多くの人ができても、できないことがあるはずだ。

それは恥じることでもなく、隠す必要もないのだ。

受け入れることが大切なのだ。

人間はなんでもできるけど、できないことも、やりたくないこともある。

やれるけど、やりたくないこともある。

もし、自分のやりたいことだけをやって、やりたくないこと、やれないことを

やらないで、過ごすことができたら、素晴らしい人生になるはずである。

でも、そんな当たり前のことができている人は少数である。

イチローなどは、その少数の代表である。

いまでこそ、彼はスーパースターであるが、社会に受け入れられるまでの彼の

苦悩の大きさは半端ではない。

オリックスに入団し、最初の1年は彼のことを全く理解しない土井監督だったから

それは地獄である。

もし、土井監督が長期政権になっていたら、そのままイチローは引退していた可能性

だってあると思う。たまたま翌年から、理解者である仰木監督に変わったから、

大きく成長できただけである。考えてみるとわかるが、彼はドラフト4位である。

無名の選手だったのである。

イチローのように生きて、消えてしまった人のほうが、はるかに多いのが現実なのである。

最初は反発されるが、続けていれば、必ずうまくいくものである。

できないものはできない。

やりたくないことはやらない。

やりたいことだけをやる。

これが幸福な人生を送るための唯一の道なのに、できている人は少ないのだ。

日本は国家としてはかなり裕福で安全で幸せにみえるが、

実際に幸福を感じている人が少ないのは、そういう理由なのである。

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