嫌な出来事は幸運への入り口、我慢するとうまくいかなくなる

穏やかな日常を過ごしている時、人は幸福か退屈のどちらかの状態になる。

しばらくその状況が続くと、ちょっと嫌な出来事が起きるものである。

例外はない。

必ず起きるのだ。

それをどのように解釈するのかで、人生は決まってしまう。

「不吉だな」と思えば、そのあと不吉な人生になるし、

「何かを教えてくれているのだ」と思えば、そこから多くのことを学ぶことができる。

16歳の誕生日に、原付の免許をとった私は、翌日に、

酒気帯び運転で検挙された。逮捕でも仕方ないのであるが、赤キップですんだのである。

この世の終わりのような気分になったことを覚えている。

気を取り直して、1週間後、今度は一方通行逆走で検挙された。

もう本当に絶望的な気持ちになった。

その後、わたしはバイクに乗ることをやめてしまった。

そのまま、原付の免許は更新しなかったので、20歳になって普通免許を取るまで

運転はしなかった。

あれは、本当にラッキーだったと思う。

あのまま、原付を乗り続けていたら、多分死んでいたと思う。

当時は、ヘルメットをかぶらなくてもいい時代である。ノーヘルでよかったのだ。

間違いなく、事故って死んでいたような気がする。

免許をとって、すぐに検挙され、さらに続けて検挙されたのは、偶然ではない。

そこにたまたま警察官がいなかったら、逃げ切れているのだ。

私を殺したくないという何かの力が、私を救ってくれたのである。

いやな出来事というものは、何かを教えてくれているのだ。

「そのままじゃいけないよ」「あらためないといけないよ」

と、教えてくれているのだ。それを無視して、努力し続けたりすると、

さらに大きなしっぺ返しがくるものだ。

最悪は、死んでしまったりする。

「10年間一滴も酒を飲まなかったのに、たまたまビール1杯だけを飲んだ時に

事故に会いました」なんてことを言う人はたいてい嘘つきだ。

まず、嘘つきである。けっこう飲んでいるはずである。

上司がパワハラをして、ものすごい気分が悪くなったとすれば、

そんな上司の下をはなれて部署移動を希望するか、直接彼に文句をいうか、会社を

やめるかのいずれかなのである。

今までと同じ状況を維持しながら、穏便に環境が自然に変わるように祈るなんて、

選択肢はありえないのである。でも90%の人は、そういう道を選び、

ろくなことにはならないものである。

嫌なことをされたら、素直に嫌だと態度や行動で示すことである。

相手に理解されないことだってあるのだ。

一般論ではないのだ。自分がどう感じるかだけが問題なのである。

嫌な出来事が起きた時に、素直に行動する。

決して我慢しない。耐えないことが重要だ。

嫌なら、逃げるか、戦うかである。

我慢して、自分を殺すではない。

そこから道が開けるのだ。

日本の教育は、そういう時に、むしろ我慢するように指導している場合が多い。

これは間違いである。

勉強が嫌な子供がいたら、やらせないほうがいい。

おそらく指導者に問題があるか、環境に問題があるからである。

それらを改善しないかぎり、勉強なんかできるわけがないのだ。

遊ばせているほうがはるかに健全である。

こういう時は、たいてい親に問題があるものだ。

問題がある親にかぎって、「この子はどうしようもない」とか思ったりするのだ。

どうしようもないのは、あんたなのに。

この親の場合でいえば、親の資格がないのだから、場合によっては

親をやめたほうがいい。

向いてないのだから。

子供を施設にいれてしまうのと、子供を虐待で殺すのと、どっちがマシなのか?

比較にならない。施設に入れたほうがいいに決まっている。

人間には生きる価値があるのだ。

素直に自分の意思に従うことは、

幸福になるために、とても大事なことである。

一時的に、状況が悪化するように見える場合が多いが、すぐに好転するものである。

腹が空いて、飯を食うようなものである。

自分の欲求に素直に従うことで、すべてのことがうまくいくのだ。

一般論や、他人の意見は関係ない。

自分がどのように感じるかなのである。

嫌な出来事というのは、「自分にとって嫌な出来事」なのである。

それを回避するために何を前向きにやるか?

一流企業に勤め続ければ、周りの人は喜ぶだろう。でも、自分にとって

地獄のような環境であったとしたら。

電通の新入社員が自殺した事件があったが、

上司のパワハラがあった時に、すぐに退社しておけばよかったわけである。

でも、我慢したから、自殺してしまったのだ。

彼女はよくわからなかったのだ。

だって、日本の教育は我慢するように教えているから、耐えるのが正しい選択

だと思っていたのである。

教育を過信してはいけない。たった数十年前まで、この国では「天皇は神様である」

と教育していたではないか?

戦争に負けたら突然「やっぱり人間でした」となっているわけである。

教育でややこしいのは、正しい部分と間違っている部分が混在しているところである。

幸福になるためには、嫌なことが起きた時に、それを回避する行動を

ストレートに実行することである。

タイトルとURLをコピーしました