暇つぶしについて

日常の出来事

どんなに忙しくても、ぽっかりと時間が空いてしまうことがある。

暇であれば、なおさらだ。

ほとんどの時間が、ぽっかりと空いた時間だったりすることもある。

そこで何をするか?

かつての私は、たいして仲のよくない連中を誘って酒を飲みに行ったり

していたものである。

なんとなく満足感があるのだが、なにか腑に落ちない感覚がずっとあったのだ。

そこで、そういう中途半端な人間関係を絶ってみた。

情報交換という言い訳の中で、たいして仲のよくない人間関係を

絶ってみたのだ。

すると、新しい出来事がたくさん起きるようになったのだ。

空いた時間を自分なりに納得のいく方法で過ごすようになったのだ。

例えば、読書をしたり、映画をみたり、

どこか行きたい場所にひとりでいったりである。

今まではできなかったいろいろなことができるようになり、その中から

新しい気づきがたくさん生まれてきたのだ。

いつか本当に暇になるときがあると思う。

そういうときに、誰でもいいから、他人に会うという選択肢もあると思う。

でも、何かを何遂げたい時に、それは無意味ではなく害悪である。

何かを成し遂げる時に、無駄なことをしている時間は1秒もないのだ。

くだらない友人と話をするなら、ゲームをやっているほうがいい。

そのほうがはるかにマシである。

枯渇状態にあると、人間はその隙間になにかをいれようとするのだ。

そこにくだらない人間関係をいれると、それで終わってしまうのだ。

からっぽにして、ちょっとおいておくと、その隙間になにかが

はいってくる。

必ずはいってくる。

それが新しい出会いだったり、気づきだったりするのだ。

青虫が菜っ葉しか食べなかったり、ライオンが肉しか食べないように、

人間の好みも千差万別なのである。

自分にとって必要なものは、自分にしかわからないのである。

枯渇状態をつくると、それがだんだん鮮明になってくるのだ。

24時間を楽しく過ごすことは、そんなに簡単なことではない。

よく食べ、よく眠り、よく運動し、よく頭を使い、よく遊び、よく仕事をしないと、

楽しく過ごすことはできないのだ。

その程度は、その日によって、違うわけである。

まったく仕事をしない日も、まったく遊びがない日もあるだろう。

でも、まったく食べなかったり、まったく眠らない日はないわけである。

あれば大問題だ。

暇が多いのだとすれば、それは必然である。大きな変革が求められているから

暇なのである。

つまり、その暇な時間をつかって、早く解決方法を見つけないといけないのだ。

それは、他人に聞く問題ではないのだ。

自分が、どう感じているのかを認識するための時間なのである。

五感を磨き、その答えが何であるかを全身全霊をむけて感じるのだ。

そんなときに、くだらない連中と付き合っている時間などないのだ。

むしろ、ゲームに集中しながら、自分の感度をあげていくほうが有益なのである。

突然、なにかを感じたら、それに向かって行動する。

そのための大切な時間が、暇つぶしなのである。

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