自分にとって心地いいものは他人のそれとは違う

楽しいアメリカ生活

食べ物、衣服、趣味、人間関係、すべてにおいて、自分にとって心地よいと感じるものが、他人と一緒のわけなどないのだ。多くの人が何と言おうと、自分がどのように感じるかが大切なのである。そういう自分を批難する人も多くいたとしても気にすることはない。「そういう人とは付き合うな」と教えてくれているのだと思えばいいのだ。自分が何をどう感じるのかは、自分にしかわからないことである。寿司にマヨネーズをつけて食べる友人がいた。私には信じられないが、彼はうまそうに食っていたものだ。うまいと思うのだから、それが彼にとっては最善の方法なのである。多くの人は、他人からの視線を気にしている。ブランド物のバックを持ちたいと思うのは、多くの人がそれを評価していることを知っているからだ。もし、本当に数多くの商品のなかで、そのブランド品が自分の心を打つものであるなら問題ない。でもそんなケースは、100%ないといっても過言ではない。自分が何に価値をおいているのかは、持って生まれた資質と、その後の環境によるものが大きいわけである。本当は嫌いなのに、無理やりに矯正されているうちに、それに慣れてしまっていることもあると思う。それが本当にやりたいことなのかどうかは、難しいところである。フラットな気持ちで、その時点で自分自身が心地いいなら、それでいいのだと思う。でも、どうしても気になるなら、やめたほうがいいと思う。人間は、そんなに群れていたくない生き物なのだと感じる。群れていた方が有利なので、群れているだけで、本能的にはむしろ孤独が好きな生き物だと感じている。音楽や絵画、執筆などの活動はとても孤独な活動である。自分ひとりの時間が多い方が、自然であるような気がする。他人と群れていないと不安な人は、不安定な状態にいるからだと思う。安定してくれば、むしろ孤独を志向していくのが自然な流れだと思う。自分が本当に心地いいと思う瞬間は、自分にしかわからないものである。昔、グランドキャニオンの朝日を見に行った時、全く感動しないどころか、もう二度と来たくないと感じたことを思い出す。あまりにも多くの観光客がいて、その多くが日本人だったのだ。せっかく外国に来ているのに、日本にいる以上に日本人の声を聞いて、白けてしまったのだ。その帰り道にレンタカーで立ち寄った、標高4000mに存在する、まったく無名の湖のほとりで食べた昼食は、忘れられない思い出である。富士山より高い場所で、バーガーキングのハンバーガーを食べれるなんて、とても素敵なことだと感じたのだ。夏だったが、ひんやりとして半袖では寒いくらいだった。生えているのは高山植物だけで、普段見るような雑草は全く存在していなかった。湖は静かで、明鏡止水とはこういうことをいうのだと感じた。この場所はいまのところ、2回訪れたことがあるが、早く3回目を行きたいと考えている。自分にとって、本当にお気に入りの場所である。(湖の名前さえ知らないが)自分にとって心地いい場所を見つけた時、それは本当の自分自身の発見でもあるのだ。

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