挑戦することは、挑戦することに価値がある

挑戦の99%はうまくいかないのだ。簡単にできるだろうと思ってやってみると、

簡単にはできない。挫折するかしないかは別にして、予想よりも難しいのだ。

もし、簡単に達成できるような挑戦があるとすれば、それは挑戦ではないのだ。

自分ができないことをやるのが挑戦なので、やれることをやるのは挑戦ではない。

大学生が、1+1=2 という問題を10000回問いても何も意味がないのだ。

自分ができないことに挑み、打ちのめされて、少しでも成長することが

できたら、それが意味のある挑戦なのだ。

失敗すると、多くの人は笑うのだ。

「やっぱり」「ばかだ」というのだ。

それでやめてしまった人間は、同じように、笑うほうの側の人間になる。

世の中の90%の人間はそっち側にいるような気がする。

笑われても、バカにされても、気にせずに挑戦を続ける人間は少数である。

結果が出るか出ないかなんて、気にしているような奴はダメな奴である。

挑戦し続けることに意味があるのだ。

挑戦そのものに意味があるのだ。

もし、挑戦をする人間がいなくなると、自動的に人類は滅亡する。

そのようにできているのだ。

ゴールは果てしなく遠い。

餓死しないことが人類の目的であるなら、とっくに人類は目的を達成している。

そんなことは目的ではないのだ。

生きて、産んで、育てるだけが人間の目的ではない。

なんだかわからない挑戦をし続けて、なんだかわからないゴールに向かって、

成長し続けることが人類の目的なのである。

この程度までやったから、あとは若い人に任せるという選択肢はあるかもしれないが、

この程度でいいだろうという選択肢はないのだ。

もし不幸な人が一人もいない社会が実現したとすれば、その時に人類が抱えている課題は

現在のそれよりも100倍は多く発生しているはずである。

なんでもいいから、挑戦して、昨日よりもちょっとでも成長した時、

私は生きていてよかったと思う。

人生は本当に素晴らしいと思う。

生まれてきたことに感謝する。

生きることそのものに価値があるのだと思う。

本当の幸福を体験した人は存在しないような気がする。

不幸であればあるほど、幸福を感じる可能性が高いわけで、

むしろそういう人のほうが、恵まれているのかもしれない。

砂漠で死にそうな人は、一杯の水だけで、この上もない幸福を感じることができるからだ。

今、それなりに満たされていれば、幸福感を感じるチャンスは減っていくわけである。

つまり、幸福そうな人はどん詰まりで、不幸そうな人は、幸福の可能性で

満ち溢れているのだ。

幸福とは何かという自分自身への問いは一瞬でも途切れてはいけないものだと思う。

〇〇を達成すれば幸福だなんて、そんなに人生は単純ではないのだ。

考え続け、行動し続けることが、唯一の正解に近く道なのだと思う。

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