私には年子の妹がいて、名前を「ゆり」という。
子供の頃は、ずっと「ゆり公(ゆりこう)」と呼んでいたのだ。
学校であっても、友達といっしょにいても、いつもどこでも「ゆりこう」と
呼んでいたので、私の友人のほとんどは、妹の名前を「ゆりこ」だと思っていた
らしかった。
説明させていただくと、本当にひどい話で、えて公(猿の別称)みたいだから
「ゆりこう」と呼んでいたのである。忠犬ハチ公の公と同じような意味なのである。
無論そんなことを説明したこともなく、妹のほうも何も気づいていないようで、
気にしていなかったので、そのまま数年間使い続けたのである。
中学生くらいになると、さすがに、そうは呼べなくなってしまった。
理由は様々なのであるが、私が中学で留年し、同学年になってしまったのも
その理由の一つである。そして、私は中学浪人もしてしまい、
ついには、妹に学年も抜かれてしまうという、失態を演じてしまったのである。
まあ、バチが当たったのだろう。
もう頭はあがらないわけである。
いつしか、かつて「ゆりこう」と呼んでいたことさえ忘れてしまったのである。
あれから、40年以上が経過し、ふたりとも50歳を超え、
いっしょに食事をしながら、ふと昔のことを思い出したわけである。
完全に忘れていた。
でも、その話は妹にはしなかった。
だって、気分が悪くなるだろう。
もしかしたら、全然気にしていないのかもしれない。
このまま、この話は、一生封印してしまおうと思う。
いつまでたっても、妹はかわいいものである。
むかしは、「おにいちゃん」と呼んでいたのに、
今ではなぜか「ゆうたさん」と名前で呼んでくる。
まあ、どうでもいいのであるが。
どちらかというと、「おにいちゃん」と呼ばれたいものである。
だって、世界中でそう呼んでくれる可能性があるのは、妹ただひとりだからである。
「ゆうたさん」と呼んでくれる人は、けっこうたくさんいるわけである。