イチローに友人はいないだろう。
少なくとも一般的に考えられているような意味での友人は皆無かもしれない。
優秀なスタッフに囲まれて、それぞれの役割を皆が果たしているわけである。
週末に居酒屋に行って愚痴を離したり、
近況報告を聞きあう友人はいないだろう。
実はそういう友人といわれているような存在は、
必要ないのである。
人間には、何かをやりたいという欲求がある。
その欲求を満たすために、行動するわけである。
世の中には2つのタイプの人間しか存在しない。
自分の欲求に従って行動している人と、そうでない人である。
そうでない人には友人が多いものである。
会って、自分が成長したとは思えない人間とは会うべきではない。
自分が成長するために必要な人に、くだらない愚痴を離すことはないだろう。
具体的な問題点を相談し、解決に導いてくれる人と会って話すなら、
それは価値あるものである。
問題が解決したら、その人とは一生会うことはないかもしれないし、
別の意味で価値を見いだせれば、関係が継続することもあるだろう。
家の水道が壊れ、修理を頼んだ水道屋さんが完ぺきな修理をしてくれても、
水道工事以外で、その人と再び会う可能性は低いだろう。
それでいいのである。
芸能界を見ていると感じるのであるが、友人が多いとされている人は、
たいてい一流の人ではない。
「うまくやっているなあ」とは感じるが、ああなりたいとは思えないものである。
自分自身にしっかりと向き合うと、自分自身と対話し続けることになり、
他人にくだらない相談をしている暇などなくなるのだ。
状況は一瞬のうちに変化する。
他人に相談している時間なんて存在しないのだ。
自分自身に向き合うことだけで、一日は終わってしまうものである。
ゆえに友人は必要ないのである。
でも一方で、人間は一人では何もできない存在である。
友人は必要ないが、必要な人間は必要なのである。
どういう人間を選ぶかが、人生なのだ。