他人の意見を気にする人としない人

日常の出来事

世の中にはたくさんのタイプの人がいる。

ヒトラーのような人もいれば、マザーテレサのような人もいる。

歴史をみると明らかなように、一定の周期で、かならず変な人が現れるわけである。

世の中のすべての人を、自分が気に入るようにコントロールすることは不可能である。

どんな悪人でも、その人を礼賛する人はいるし、どんな立派な人でも

その人を非難する人はいる。

キリストは、磔の刑に処されて死んだわけである。

ようするに、何をやったとしても、誰かが非難するし、誰かが褒めてくれるわけである。

他人の意見に振り回されるということは、時間の無駄だと思う。

完全に割り切って、常に、50%以上の人が支持するようなことをやろうと

考えるのは、かなりくだらないことだと思う。

他人の意見を気にしない人というのは、

他人の意見を聞かない人である。

聞いてしまうと、人間だから気になるのだ。

よって気にしないためには、聞かない以外に方法はないのだ。

世の中から完全に遮断して生きることはできないが、

ある程度、他人の意見に振り回されないで生きることはできるものである。

批判するやつには、自由に批判させてあげればいいのだ。

でも、それを真剣に聞かないことである。

法律に触れるようなことをしているのであれば、それは改めなければいけない。

我々は法治国家に住んでいるから、当然の責務である。

法律に触れないことであるなら、他人の意見に振り回されることはないのだ。

自分の悪口をいう人がそばにいるなら、そんな人のそばから離れればいいだけの話だ。

そこでなければ生きていけない場所なんて、存在しないのだ。

もっと気楽に、自分が楽しく生きていける場所を探して、そこに移動すればいいのである。

考えている以上に、日本も、世界も広いものである。

必ず自分にとって居心地のいい場所があるわけである。

日本には軍隊がないが、(実際にはあるが)もし戦争をしたいなら、

フランスの外人部隊に入隊すれば、戦うことができるわけである。

この世界では、かなりたくさんのことができるようになっているのだ。

北朝鮮の人は、自由に外国に出ることができないから、日本人よりは自由が少ないわけである。

そう考えると、日本という国で生活できる幸福はかなり大きいと思うわけである。

考えてみると、自分という存在は、地球が誕生した時から存続し続けているわけである。

我々の先祖は、江戸時代にも、奈良時代にも、縄文時代にも生きていたわけで、

人間の前には小動物であったわけである。おそらく最初はバクテリアみたいな

存在だったわけである。

それらの子孫が自分なのである。

多くの存在は、どこかで途切れて消えてしまったわけである。

豊臣秀吉は天下を統一したが、その子供の代で、根こそぎ殺されてしまい、

現在、子孫は誰一人生きていないのだ。

世の中に、織田さんや、徳川さんはたくさん生きているのに、

豊臣さんは一人もいないのである。

我々はその時代に生きていた誰かの子孫なのだ。

ある意味、豊臣さんよりは、生存能力の高かった先祖を持っている存在なのである。

人間というか、生き物が存在する理由は、

生きることそのものだと思う。

どんなかたちでも、生きていれば、それでいいのだと思う。

他人の意見なんかに振り回されて、よくない気分になるのは無意味だと思う。

自分が感じる心地よいことをやり続けることが、生きる意味であると思う。

毎日ゴロゴロしていたいと思い、そうしているなら、

それは素晴らしい人生だ。

でも、多くの人は、ゴロゴロしていると退屈してしまうのだ。

何かをしていないと落ち着かないのである。

そういう人は働けばいいのだ。

働くということは、とても楽しいことである。

毎日ゴルフをやっていたことがありますか?

本当につまらい。苦痛になります。

働いて、忙しくて時間がない時に、ゴルフをやるから楽しいのだ。

お金を十分に稼いで毎日ゴルフ三昧をしている人を何人も知っているが、

ちっとも楽しそうに見えないのである。

それは個人差があるから一概にはいえない。

自分はどういうタイプなのかを見極めることが重要だと思う。

自分は悪人なのか、善人なのかを考えてみたことがあるか?

その前に、善とは何か、悪とは何かを定義する必要があるのだ。

原子力発電所を維持することが善なのか悪なのか?

日本の国家は続けることが善であると判断しているが、国民の過半数は

そうは思っていないわけである。

そうなのだ。

善も悪も存在しないのである。

腹が減れば、飯を食うし、眠くなれば眠るわけである。

自分が感じる、なんとなくという感覚に従って生きることが、正しい生き方なのだと思う。

人間以外のすべての生き物は、そのなんとなくの感覚で生きているのである。

人間だけが例外なのではない。

世の中の為政者が自分の権力を維持するために、多くの人をコントロールしているだけなのである。

赤ちゃんをあやしてあげると、赤ちゃんが笑い出す。

それを見て、なんとなく幸福に感じる感覚は、多くの人が持つ感情だと思う。

そうではない人もいるとは思うが、かなり例外である。

おそらくそういう人は結果的に淘汰されていくわけである。

ヒトラーが淘汰されたように。

他人の意見を気にせずに、自分が感じる感覚を信じて生きることがすべてのような気がする。

 

 

 

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