暴力団は日本社会の象徴

政治の裏側

役所に提出する様々な書類に、

「私は暴力団と一切関係がありません」というものがある。

誰しも、何度かは署名捺印したことがあると思う。

反社会勢力が公然と存在が認められているのは、世界中で日本だけである。

日本以外の国家であれば、暴力団のような反社会勢力が表立って存在することは

ありえないのだ。

米国のどこを探しても、アルカイダの事務所を見つけることはできない。

地下に潜伏しているので、絶対に外部からはわからないようになっているからだ。

ところが日本は堂々と暴力団が営業しているわけである。

現在も大手暴力団の事務所は公然と存在しているのだ。

米国とは大違いである。

つまり、暴力団は日本政府から公認されて営業が認められているのである。

ようするに「目立たないようにやってね」といわれているだけなのだ。

是非はともかくとして、そうなっているのが現実の日本社会である。

もし本当に暴力団がいけない存在なら、存在そのものを認知しなければいいだけである。

現に、日本国内にアルカイダの日本支部は存在していないわけである。

憲法で軍隊は持ってはいけないと規定されているのに、

日本には世界で五本の指に入る軍隊である自衛隊を持っている。

「あれは軍隊ではありません。自衛隊なのです」といっているわけであるが、

軍隊の定義とは、戦闘機や戦車などの軍事的な武器をもっている集団である。

世界中の誰がみても、自衛隊は立派な軍隊である。

それが日本という国なのだ。

法律はあまり関係ない。勝手に解釈をして、それが既成事実になれば、

ジエンドである。

ちょっとややこしいのが、この解釈というやつである。

解釈は明文化されていないので、担当者の裁量ですべて決まってしまうのだ。

だから人によって、対応が違うという問題がおきるのである。

法律は何のためにあるのか?

ある人が勝手に解釈をしないように、しっかりとした決まりを明文化するのが、

法律の役割なのである。

例えば人間の死は、脳死なのか、心臓死なのか?

これはだいぶ以前に法律で脳死が人間の死亡であるということが

決定されたわけである。

ところが、政治家にとって都合が悪くなるような法律に関しては、

あえて曖昧にしてしまうというのが、日本の現状なのである。

明文化すると都合が悪くなる人がたくさんいるので、彼らに忖度しているのだ。

暴力団に関しては、存在を法律で禁止すれば、ジエンドなのであるが、

それをやろうとすると、彼らに報復される恐怖と、

実際に彼らから利益を受けている政治家や役人が困ってしまうからだ。

そういう人は必ずしも与党だけではないのだ。

彼らが上手に立ち振る舞い

政府に働きかけて、暴力団対策法というのを制定させたのである。

つまり、皮肉なことに、この法律によって彼らの身分が保証されたわけなのだ。

日本政府から正式に暴力団として認知してもらったわけである。

まあこんな法律をつくるのは、世界中でも日本だけである。

本当に特殊な国家であることを我々は認識しないといけないのだ。

そういう事実を理解しないで、正論で怒っている人、

例えば。、「自衛隊は憲法違反だから解散しろ」とか言っている人は、

なんというか、おめでたい人なのである。

一番大切なのは、現実を認識することなのである。

多くの人は、こういう事実に気づいていないのではなく、気づかされていないのである。

知らなくて当たり前なのだ。

それだけ彼らの仕業が巧妙なのである。

また、もっというと、こういう問題を改善するのかしないのかという判断も加わってくる。

つまり、あまりいいとはいえないが、まあ仕方がないという判断もあるわけだ。

はっきりとすべてを明確に明文化して法整備自体を変更するというのが正論だろうが、

そうすると、ものすごい社会的な軋轢を発生させ、間違いなく

死人がでるわけである。

放っておくのも一つの見識であり、いつかしかるべき時が来るはずなので、

そのタイミングまでは静観するというのも判断なのである。

私の意見としては、しばらく放っておいていいと考えている。

なぜなら、それによって致命的な問題は現在のところ起きていないように思えるからだ。

暴力団にしても、完全に地下に潜って凶悪化するよりも、

現在のようなかたちで存続するほうが、結果的に日本の国益になるような気がするのだ。

理想論ではないが、現実的にはあり得ると思うし、

現在の日本の政治家の多くは、私と同じような意見のようである。

なんでもかんでも白黒つけるということは必ずしもよくないことは、

ある程度長生きしている人は全員知っていることなのである。

存在悪と必要悪は、ほぼ同意義の言葉である。

 

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