自分が本当に好きな人と暮らすということ

自分が本当に好きな人と暮らすことはとても大切なことというよりも、

それが人生の全てといってもいいかもしれない。

もし自分が好きな人が、自分自身だとすれば、

一人だけで暮らすということは、いい選択肢である。

自分のことを好きでないという人もいるわけで、その場合はむしろ苦痛なのかもしれない。

自分のことが大好きで、自分一人で暮らしている人は、幸福な人なのである。

でも私の知る限り、そういうタイプの孤独な人は少ないように思う。

孤独な人の多くは、自分のことを好きではない人のような気がする。

好きでもない人と、一緒に暮らすことは苦痛である。

本当に嫌なものである。

それが自分自身だったとしても、同じことである。

嫌な人と、離れた時に、自分が幸福であると気づく時がある。

自分が考えていた以上に、その人のことが嫌いだったような場合、

案外、離れて見るまではそのことに気づかなかったりするのである。

幸福とは何か?

そのことに真剣に向き合って考える機会は少ない。

多くの人は、なんとなく、幸福について考えてしまっている場合が多い。

ある程度の収入があって、ある程度のステータスで、ある程度のレベルで

生活することが幸福の条件だと思っている場合がある。

会社の感じの悪い上司や、不機嫌な配偶者の態度は許容範囲であると、

思い込んでいる人は多いと思う。

「そんなことで、会社をやめたり、離婚をしたら何もできないよ」

なんてことを思っているわけである。

こういう人は、そこそこの生活をすることが最優先だと思っているからである。

例えば、現在の日本で、餓死をする人はかなり特殊な状況の人である。

生活保護法という法律があるので、最低でも月額15万円程度の

生活保護費用が国家から支給される仕組みができあがっているのだ。

これが、昭和の初期などでは、全く違う情勢で、

文字どおり、餓死する人も少なからず存在していたわけである。

当時の人々が、「綺麗事なんかいってられない」というのは

本当のことであり、そうしないと死んでしまうかもしれない社会情勢

だったわけである。

でも、令和三年の現在は、状況は全く違っているのであるが、

なんとなく昔の価値観をひきづっている人がかなり多いわけである。

実は社会制度的に、かなり自由に生きることのできる社会なのに、

間違った常識や無知や見栄のために、本来の生きる意味を見失っている

人がけっこういるのである。

なんでもかんでも自由にやっていいわけではない。

当たり前である。

でも、自分がいやなことを、やらなくてもいいように、この社会は

できているのだ。

その範囲内で、自分が考えているよりも遥かに自由なことがたくさんできる

社会が、現在の日本なのである。

現代の日本人に生まれたということは、それだけで大きなアドバンテージなのだ。

私が子供のころは、親や教師や先輩や上司は普通に暴力を振るっていた。

でも、現在では犯罪である。

本当に世の中はよくなったと思う。

現代社会なりの問題は数多く存在するが、それらのほぼ全てが本人の

気持ち次第で解決できる問題なのである。

かつての問題は、自分自身ではどうすることもできない問題だらけだったのと

正反対である。

例えば、いじめ問題。

これはいじめる側に問題があるが、いじめられている側が適切な対応をすれば

かなりの範囲で回避することができるわけである。

「それさえもできない人がいる」というのは事実であるが、

そういった課題も日々少しづつ解消されていっているわけである。

米国の奴隷解放宣言から、黒人の大統領が誕生するまでに、

かなりの日数がかかったように、そう簡単に社会は変わらないものである。

別の見方をすれば、時間の問題なのである。

現在の世の中で、もっとも大きな問題は、好きな人といっしょにいれないという

問題である。

嫌な人からは逃げればいいのだ。

でも、それができない人がたくさんいる。

その最大の理由が、幸福の定義を間違えて解釈しているからなのだと思う。

自分にとっての幸福とは何かを、一年くらいかけてじっくりと考えてみる。

自分の幸福のために、誰かが不幸になるのだとすれば、

それは本当の幸福ではないはずだ。

自分が恨んでいる人をやっつければ、自分は幸福になれると考えている人が

いるとすれば、それは間違っている。

仮に自分の敵だとしても、その人にも幸福になる権利はあるのだ。

誰かを不幸にして獲得する幸福は、本当の幸福ではない。

かといって、完璧な幸福を実現することは、かなり難しいわけである。

完璧な幸福を達成することは難しいことであるが、

完璧な幸福に向かって前向きに進んでいくのはそれほど難しいことではない。

前進しているのか、戻っているのか?

それだけを確認し、進んでいるのであれば、完璧なのである。

たとえほんのわずかでも、幸福に向かって進んでいる状況にいるのなら、

その人は幸福なのだと思う。

小学生の時に見たメーテルリンクの「青い鳥」の中に、本当の幸福の意味が示されていたように思う。

青い鳥を見つけるには、旅が必要で、旅の中で青い鳥を見つけることはできない。

ところが、旅を終えて、家に帰ってくると、そこにしたなんでもない普通の鳥が

青い鳥だったということに気づくわけである。

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