これ以上できないと思うところまでやっているのか?

過去を振り返ってみると、明確なことがある。

これ以上できないと思えるまで、やりきったことは、すべて結果がでている。

でも、なんか手を抜いてしまったことは、結果がでていない。

当たり前のことであるが、これが現実なのだ。

お金がなくてもできることをすべてやりきることができれば、

お金があるよりもいい結果がでるわけである。

受験勉強で考えるとわかりやすい。

最高の予備校に通い、最高の家庭教師を雇っているやる気のないやつと、

金もなく、時間もないが、できる限りの時間をやれる限りの勉強をやっている奴の

成績を比べるとどっちがいいのか?

比較するまでもないだろう。

時間がないというのは、いいわけである。

時間はあるのだ。

その中で、やれる限りの努力をしている人間で、結果がでていない人間はひとりも存在しない。

最近の大相撲をみると、小錦のような大型力士が減って、

100キロもない炎鵬や、宇良のような力士が活躍していることがわかる。

力士は大型のほうが有利であるわけであるが、現実は違うのだ。

小さくても、きっちりと努力をしている力士のほうが結果がでているわけである。

無論、体が大きくて、それで努力するのが最高なわけであるが、そんな人間はごく少数なのである。

今の自分のおかれた状況で、自分自身が納得いく、「これ以上できない」と思えるような

努力をすれば、少なくとも、それなりの結果がでるように、この世の中の仕組みはできているのだ。

それができる人が、ほとんど存在しないからである。

多くの人は、言い訳の天才である。

自分がなぜできないのか、克明に説明することができる。

その能力の半分を努力にまわすことができれば、おそらくその人の希望は簡単に叶うはずである。

でもそれができないようになっているのだ。

だから、世の中は面白いのである。

継続した努力ができることは、才能である。

ほとんどの人はそれができないのだ。

私は人生の中で、「これ以上は絶対に無理だ」と思うくらい努力した経験が何回かある。

中学を留年し、高校に進学しなかった17歳の夏に、突然、高校に入るための勉強を開始した。

8月から勉強を開始して、2月までの約半年間、勉強以外何もやらなかった。

テレビもみなかったし、漫画も読まなかった。

ただひたすらに勉強をした。

あれ以上は絶対にできなかったと、今でも思う。

それは自信をもっていえる。

ただ、これもまた事実なのであるが、私の成績はそれほどは上昇しなかった。

受験向けの脳みそを私はもっていないことを自覚したものである。

まあ、それでもやれるかぎりのことはやったと思う。

例えるなら、私は猫なのに、がんばって、犬のようにお手を覚えたような感覚である。

本来の自分の力ではないのであるが、なんかやってしまったのである。

これは私の長所でもあり、短所でもあると、気づいたのはだいぶ経ってからである。

無理をしてしまうのだ。

これはけっこう悪い結果になることが多い。

私は現在55歳であるが、ようやく自分の長所も、短所も自覚し、どのような道が向いているのか

わかってきたような気がするのだ。

55年間のモラトリアムで、これからが本当の自分の人生である。

個人差があって当たり前で、私はそういう人生なのだ。

倒れるまでやったら、やりすぎである。

倒れない範囲でできるかぎりのことを、今、やっているような気がする。

寝ることはとても大事である。

睡眠より重要なことって、ほとんどないと思う。

その範囲内で、できるかぎりのことをやる。それだけである。

 

 

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