人生に偶然の出来事は一つもない(私の場合)

私は55歳である。

織田信長なら、とっくに死んでいる年齢である。

まあ、それなりの年寄りである。

過去を振り返ってみると、偶然の出来事は何一つなかったと、感じるのだ。

ありとあらゆる出来事が必然であった。

一つの例外もない。

「なんでこんなことに・・・」と思うことも何度もあったが、

振り返ると、すべて必然であったと感じる。

何による必なのか?

これは断言できる。

自分がなりたいと思う状態になるための必然なのだ。

自分が本当に希望することを実現するために、ありとあらゆる出来事が起きるのである。

ちょっと難しい希望を持つと、達成するためには、それなりに厳しいタスクが現れ、

簡単な希望であれば、簡単に達成できたりもするわけである。

本当に自分が希望することを達成するために、

私は今日まで生きているのだと感じる。

頭を使いすぎて、パンクしそうになることもあるが、それはそれで

なんとかなるものである。

多くの人と出会い、多くの人との別れがある。

それもすべてが必然なのである。

最近、生まれながらに耳の聞こえない人と知り合いになった。

彼の奥さんも同じである。

マスクをしていると、何もコミュニケーションができないわけである。

そばにいても、メールで会話するか、手話通訳の人がいないと何も伝わらないわけである。

どんな立場であっても、一生懸命に生きている人は、たくましい。

私は彼らから多くのことを学んだわけである。

人間という存在は、生きるということに勝ちがあるのだと思う。

どんな生き方でもいいのだ。

生き続けることができれば、勝者なのである。

そういう意味では、私は勝者である。

残り、50年くらいをどういう風に生きようか、けっこう真剣に悩み、

行動している。

退屈だけは、全くした記憶がない。

今やるべきことを、すべてやろうとすると、本当に時間が足りないと感じる。

でも、体調が悪い日であれば、休むことのほうが大事である。

不調でもやらなければいけないことなんか、そうはないからである。

そういう生き方が気に食わなくて、離れて行く人もたくさんいる。

それはそれで、いいのだ。

偶然の出来事は一つもない。

嫌な予感がしたら、それに従ったほうがいいのだ。

何か見えない力が教えてくれているのだ。

気にくわない人がいたら、なんとか、その人から避けることに最大のパワーを使うべきだ。

逃げるのか、闘うのか、その両方なのかはケースバイケースである。

1秒でも早く離れたほうがいいのだ。

55年の人生で、そこで無理をして、よかったことは一度もない。

これは事実である。

決断は早すぎるほうがいいのだ。

長引いて、困ったことはたくさんあるが、早すぎて失敗した例は皆無である。

毎日が楽しいというよりも、嫌なことがないということが重要である。

この半年、毎朝起きたら、スクワットを50回と、腕立て伏せを40回、続けている。

1日も欠かしたことがない。

なんかやっているほうが楽しいのだ。

なんとなく、胸板が厚くなったような気がする。

これ以上はやらなくていいと感じているので、やらない。

この間までは、ジムに通っていたが、移動の時間がもったいないし、結局、やることは

ベンチプレスと、スクワットと、柔軟なので、

いっしょなのだ。

毎日が楽しいというよりは、嫌なことがないといったほうがいいと思う。

小学2年生くらいの時に感じていた感覚が、一番正しかったような気がする。

あのころの思い出は、電子レンジの中に、蛇のおもちゃをいれて、

母親を驚ろかしたら、泣いて怒られた記憶がある。

その蛇を買った駄菓子屋の親父が

「あんたのお母さんがさっききて、もうあんたにはおもちゃを売らないでくれと

いわれたから、もうそんないたずらをしちゃだめだよ。何も売れなくなるよ」

と言われたものである。

その親父がそういわなかったら、100%私は同じことをしていただろう。

いまだに、母はそのことを怒っている。

人生は楽しいものである。

 

 

 

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