嫌いな人から嫌われると、むしろ嬉しい

世の中には、誰からも嫌われたくない人というものは存在する。

多くの政治家は、そういうタイプかもしれない。

私は真逆である。

私のことを嫌いな人からは、むしろ嫌われたいとさえ思っている。

私は自分だけいいという考えが、とても嫌いなのである。

私のことを嫌いな人のほぼすべては、自分のことだけしか考えていない人である。

自分と、そのごく一部の身内のことだけしか考えていない人といってもいい。

自分たちだけよければ、他のことはどうなってもいいという考えの人である。

これは救いようがないと思う。

この世は、自分たちだけでは生きていけないのに、

とりあえず、自分たちだけで利益を確保しておこうという考えは間違っている。

だから、そういう人から嫌われてもなんとも思わないわけである。

そんな人から支持されたいなんて、かけらも思わないわけである。

嫌われるほうが、すっきりする。

彼らを改心させようなって、おこがましい考えはない。

誰からも嫌われずに生きるなんて、全く意味のない生き方だと思う。

誰かに利用されて、終わるだけの人生である。

若者のために行動すれば、多くの年寄りを敵にまわすのだ。

当たり前だ。

年寄りの年金や、財産を奪って、若者に還元すると、多くの年寄りは怒るわけである。

ある意味、普通のことである。

どっちにもいい話なんて存在しないのだ。

最近、河野太郎が、「はんこをなくそう」といったら、ハンコ業界は猛反発をしたわけである。

それも当たり前であるが、敵をつくらないかぎり、世の中をよくしていくなんて

絶対にできないのだ。

坂本龍馬はだから、暗殺されたのだ。

嫌われる人でないと、改革なんてできないのである。

改革をしないで、よくなる社会も存在しないのだ。

少なくとも50%以上の人が望んでいることなら、改革すべきだと思うわけである。

ところが10〜20%くらいの連中が、自分たちの利権を守るために、

死ぬ気で戦ってくるわけである。

原子力発電所の利権なんて、そんな感じである。

国民の50%以上の人は、原子力発電所を廃止するのに賛成でも、

10%程度のそこで大きな利権をもっている人たちが死ぬ気で反対しているわけである。

東京電力、東芝、政府関係者などである。

どっちが正しいのか、普通に考えれば、誰でもわかるはなしである。

そういう少数の人から好かれるよりも、嫌われるほうが私はよっぽど

すっきりするわけである。

私が考えるのは、単純な話で、いまよりも少しでも世の中が良くなる方向に

進むなら、なんでもいいのだ。

たとえほんの少しでも悪くなる方向には行きたくないと考えているのである。

すべての判断基準をそれだけで、私は生きている。

例えば、日本共産党と自民党、

自民党のほうが、いくらかマシであると思う。

でも、もちろん、現在の自民党はたいしてよくないと思う。

まだ、小池百合子のようが相対的にマシである。

だから、小池百合子のほうを支持する。

政治は相対的なものである。

理想をいって、誰にも投票しないよりも、いくらかでも世の中をよくする方向の

政党を支持したほうがいいと思うのだ。

話を元に戻すと、

そういう私の考えを嫌いな人がいても全然かまわないのだ。

むしろ、そういう人からは嫌われたほうが、よっぽどすっきりする。

すべての人から好かれることに意味は全くないと思う。

むしろ、私は北朝鮮の金正恩が好きである。

あの立場で、よくやっていると思うわけである。

日本だって、たった数十年前までは、神の国で、

似たような感じだったわけである。

もちろん、いつかはあの国だって、変わらなければいけない時が来るわけで、

その時には、ルーマニアのチャウセスクのように、彼は殺されるのかもしれない。

そんな恐怖と対峙しながら、毎日生きているのだから、

並みの精神力ではもたないだろう。

米国の大統領と対等に渡り合うなど、できる芸当ではない。

そこは素直に感服しているわけである。

自分が自由に生きて、それで好かれようが、嫌われようが

どうでもいいことなのだ。

自由にいきて、楽しさを感じること、それが重要なのである。

 

 

 

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